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胆雪埋井とは、雪をかついで井戸を埋める。という意味です。
瞬時に雪は溶けてしまう。決して井戸は埋まらない。全く無駄なことだ。無駄なことなんだが、やらない訳にはいかない。何故か、己れの本具する誓願だから、己れの生き甲斐であり、己れの生活だから。職員の錬成とか、関与先の指導を実践するとき正に胆雪埋井の感を深くすることが多い。相手側から恐れ入りましたと敬服される段階までいきたいものである。白隠禅師の言葉だといわれる。これがやれないような人物は、禅の世界では、大したものじゃない、とされる。会計人の世界も同じですよ。(TKC 会計人の原点より)
上記「TKC 会計人の原点」は、私が所属するTKCの広報部が発行したもので、映画「不撓不屈」の主人公でもあった故飯塚会長の講話や座談から、会計人の心の在り方、心の問題をとりあげて、広報部員が編集したものです。
しばらく、この言葉を忘れていましたが、先日事務所の周りの「草取り」をして思い出しました。お盆前に職員総出できれいに草取りをしたはずなのですが、1ヶ月半も経つとまた草ぼうぼうです。人に草取りを頼もうかと思いましたが、上記のことが、思い出されて自分でやってみました。今回草取りをしても、また数日で伸びてくるでしょう。また、草取りです。これを繰り返しているうちに、冬になり雪の下に一旦埋もれますが、また来春には伸びてきます。
これから、本格的な秋を迎えますが、落ち葉をはく作業も似たようなものだと思います。
ところで、ネットに次のような文が掲載されていました。
ある店の店長さんは店員に指導するとき、何を何回言ったか日記に付けられているそうです。30回は我慢されるそうです。ふつう、「あいつは何度言ってもわからんなぁ」と言っている管理職の人はせいぜい数回しかいってないのではないでしょうか?
私は、日記まで付けようとは思いません。しかし、こうした繰り返しが、偉大な結果を生むものと思いますが、いかがでしょうか?
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